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日本アカデミー賞 『ゴジラ―1.0』が最優秀作品賞に輝いた! 映画「ゴジラ シリーズ」を見返す

ニュース

第47回日本アカデミー賞(2024年)が開催され、映画「ゴジラ-1.0」が、最優秀作品賞に輝いた。
(詳細については、日本アカデミー賞の公式サイトをご覧ください。)
今まで、沢山の映画ゴジラ作品が上映されてきました。それらの映画について見返してみましょう。

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日本アカデミー賞(2024年) 主な優秀賞

主な最優秀授賞作品・各優秀者は以下の通りでした。
(詳細は、日本アカデミー賞公式サイトをご覧ください。)

  • 優秀作品賞   「ゴジラ-1.0」
  • 優秀主演男優賞  役所広司「PERFECT DAYS」
  • 優秀主演女優賞  安藤サクラ「怪物」
  • 優秀助演男優賞  磯村勇斗「月」
  • 優秀助演女優賞  安藤サクラ「ゴジラ-1.0」

主なゴジラ映画の一覧(日本)

『ゴジラ』(1954年)

巨大怪獣ゴジラが登場するシリーズの第1作です。
ストーリー:
1954年8月13日、小笠原諸島近海で南海汽船所属の貨物船「栄光丸」が突然SOSを発信して沈没し、その後も消息不明になる事件が発生します。
調査団が派遣され、海底の洞窟に潜んでいた侏羅紀の怪獣「ゴジラ」が水爆実験で安住の地を追われ、東京に上陸して破壊の限りを尽くします。
ゴジラ問題を担当する特設災害対策本部は、ゴジラを感電死させる作戦を実施しますが、ゴジラは東京を蹂躙し人々を恐怖に陥れます。

『ゴジラの逆襲』(1955年)

映画「ゴジラ シリーズ」の第2作です。
ストーリー
1955年4月24日、ゴジラと別の怪獣「アンギラス」が大阪を襲撃します。
ゴジラとアンギラスは水爆実験の影響で現代に蘇り、大阪市を壊滅させます。
科学技術でゴジラを倒した前作とは異なり、今回は大自然の驚異によってゴジラを生き埋めにする作戦が立案されます。

『キングコング対ゴジラ』(1962年)

映画「ゴジラ シリーズ」の第3作です。
ストーリー
ファロ島に伝わる「巨大なる魔神」の噂を追い、カメラマンと社会教育部員の探検隊がファロ島へ派遣されます。
一方、北極海から復活したゴジラが日本に上陸し、キングコングとの壮絶な対決が繰り広げられます。

『モスラ対ゴジラ』(1964年)

映画「ゴジラ シリーズ」の第4作です。
ストーリー
台風8号が日本を襲った翌日、酒井と純子は放射能を含むウロコのような物体を発見します。
一方、静之浦の海岸には巨大な卵が漂着しています。
この卵はモスラのものであり、モスラの力を借りてゴジラと戦うために日本へ飛来します。
ゴジラとモスラの壮絶な対決が繰り広げられ、最終的にはモスラが犠牲を払いながらゴジラを倒すことに成功します。

『シン・ゴジラ』(2016年)

ストーリー
日本に突如現れた巨大怪獣「ゴジラ」が東京を襲撃します。
政府や専門家たちは対応に追われ、ゴジラの脅威に立ち向かうために奮闘します。
政治家、官僚、科学者、自衛隊、報道陣など、多くの人々が協力してゴジラとの戦いに挑みます。

『ゴジラ-1.0』(2023年)

ストーリー:
戦後の日本を舞台に焼け野原と化した東京で、ゴジラと運命的な出会いを果たす元特攻隊員の敷島浩一と、赤ん坊を育てる若い女性・典子の物語です。

ゴジラ映画の一覧(海外)

海外でもゴジラ映画は人気で、いくつかの作品が制作されています。
以下に、いくつかの海外版ゴジラ映画を紹介します。

『ゴジラ』(1998年)

ストーリー:
アメリカ版のゴジラ映画で、ニューヨークを舞台にゴジラが暴れる姿を描いています。

『GODZILLA ゴジラ』(2014年)

ストーリー:
ゴジラの再起動作品で、怪獣と人間の戦いを描いています。

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019年)

ストーリー:
ゴジラ出現から5年後。
神話時代の巨大生物モスラ、ラドン、キングギドラたちが現代に目覚め、地球の覇権をかけゴジラとバトルを繰り広げます。
一方、未確認生物特務機関・モナークは、ゴジラたちの戦いによって引き起こされる破壊を防ごうと奮闘するでしたが……

『ゴジラvsコング』(2021年)

ストーリー:
怪獣たちの戦いにより甚大な被害を受けた人類が再建を図る中、特務機関モナークは未知の土地で危険なミッションを進め、巨大怪獣のルーツをつかもうとしていた。
そんな時、ゴジラが再び地上に出現し、怒りを露わに世界を危機へ陥れていくゴジラに対抗すべく、人類は髑髏島からコングを連れ出します。
だが、その決断によって引き起こされた“最強”対決は、人類や地球の存亡を左右する事態へと発展していきます。

ゴジラ誕生の経緯

第五福竜丸事件

ゴジラは、日本の映画監督石原裕次郎と特撮監督円谷英二によって考案されました。
きっかけは、映画公開と同じ年に起きた「第五福竜丸事件」でした。
この事件は、西太平洋のビキニ環礁付近で操業していた日本の漁船が、米国の水爆実験による降灰を浴びて被爆した出来事です。
この事件が「核実験によって太古の眠りから目を覚ました怪獣が、安住の地を追い出されたことに怒り、東京を破壊する」というゴジラの構想につながりました。

円谷英二と石原裕次郎がタッグを組んだ背景

石原裕次郎は、当時 映画監督としても活動していました。
彼は特撮映画に興味を持ち、自身の映画制作会社である石原プロモーションを設立しました。
一方、円谷英二は特撮監督、映画監督、撮影技師、発明家として知られていました。
彼は特撮技術の第一人者であり、独自の技術で多大な功績を残しています。

1957年、石原裕次郎は映画制作会社石原プロモーションを設立しました。
その第1回作品として、ヨットで太平洋単独横断を成功した堀江謙一を映画化した『太平洋ひとりぼっち』を製作しました。
この時、特撮の技術を必要とし円谷特技プロダクション(後の円谷プロダクション)に特撮を依頼しました。
こうして、円谷英二と石原裕次郎は、特撮映画の制作で協力することとなりました。

まとめ

日本の特撮映画が、これからも面白く、興味のあるもが誕生し日本を含んだ世界の人々へ感動、驚きを見せてくれることを楽しく思います。

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