5月1日の「水俣病問題に係る懇談会」で、被害者団体側のマイクの音を切って発言を遮った問題が起こり、環境大臣及び職員が謝罪するに至った。
消えようとしている過去の公害問題の一つである「水俣病問題」を改めて認識し、本当の「聞く組織」は存在するのかを考えた。
水俣病問題の経緯
水俣病は、1932年から1968年までの約36年間、熊本県水俣市にあるチッソ水俣工場(株式会社チッソ)から海に排出されたメチル水銀を含む廃水によって発生しました。
チッソ水俣工場の主な生産品は、農薬や医薬品、プラスチック、合成繊維など、様々な産業分野で使用される以下の製品を製造していました。
- 合成肥料: 窒素、リン、カリウムなどの栄養素を化学的に合成した肥料。
- 酢酸: アセトアルデヒドを酸化させて製造する有機酸。
- アセトアルデヒド: エタノールを脱水素反応させて製造する有機化合物。
- 塩化ビニルモノマー: エチレンと塩素を化学的に合成する有機化合物。塩ビ樹脂の原料。
工場廃水に含まれていたメチル水銀は、生産工程で直接使用される物質ではなく、アセトアルデヒドを製造する過程で副生的に発生する有害物質です。
そして、当時の技術では、メチル水銀を完全に除去することができず、工場排水に微量ながら含まれた状態で海に排出されていました。
そして、プランクトンや小魚に蓄積され、食物連鎖を通じて魚の体内に高濃度に蓄積されました。
水俣湾の魚介類を常食していた地元住民は、メチル水銀を体内に取り込み、中毒症状を起こしました。
水俣病発生の経過(遅すぎる対応の現実)
水俣病問題を時系列でみていくと、被害発生から補償対応へのあまりにも時間が経過していることが分かります。
1932年: 工場排水にメチル水銀を含むことが判明。
1953年: 猫が工場排水で汚染された魚を食べ、異常行動を起こす。
1956年: 水俣病が公式に確認される。
1968年: チッソ、水俣病患者との和解交渉開始。
2004年: チッソ、水俣病被害者への慰謝料支払いを開始。
2017年: チッソ、水俣病問題解決に向けた「和解の精神」に基づく新たな補償金支払いを開始
「水俣病問題に係る懇談会」を知る
発足の目的
水俣病問題に係る懇談会が、設置された目的です。
- 水俣病被害者や関係者からの意見を聴く:
水俣病問題の解決に向けて、被害者や関係者の声を直接聞く場を設けることが目的です。 - 情報共有と議論:
水俣病問題に関する情報を共有し、関係者間で議論を行う場を設けることが目的です。 - 問題解決に向けた提言:
懇談会での議論を踏まえ、水俣病問題の解決に向けた提言をまとめることが目的です。
設置時期
水俣病問題に係る懇談会は、1970年代から現在まで、様々な形態で設置されてきました。
具体的な時期と名称は以下の通りです。
- 1970年代: 水俣病対策会議、水俣病問題懇談会
- 1980年代: 水俣病問題関係者懇談会、水俣病問題解決促進会議
- 1990年代: 水俣病問題解決促進協議会、水俣病問題解決に向けた懇談会
- 2000年代: 水俣病問題解決に向けた懇談会、水俣病問題解決のための関係者懇談会
- 2010年代: 水俣病問題解決のための関係者懇談会、水俣病問題解決に向けた懇談会
- 2020年代: 水俣病問題解決に向けた懇談会
公害・環境問題の原点なのか
公害問題は、明治時代から始まり高度経済成長期を背景に発生しました。
主な事例を紹介します。
公害・環境問題の原点は、押尾銅山での問題であるべきではないでしょうか。
初めての公式事例:足尾銅山鉱毒事件(1890年~)
公式に公害問題と認知されたのは、足尾銅山の問題で 明治時代から始まっています。
- 概要:
栃木県足尾銅山で発生した鉱毒被害。
鉱山からの排出物が渡良瀬川を汚染し、周辺住民に健康被害や農業被害をもたらしました。 - 問題点:
企業による環境破壊の深刻さを世に知らしめた最初の公式事例。
被害者への補償や環境回復に長い時間がかかりました。
高度経済成長期の主な事例
- 四日市ぜんそく(1955年~):
三重県四日市市で発生した光化学スモッグによる公害病。
呼吸器疾患やガンなどの健康被害をもたらしました。 - 水俣病(1956年~):
熊本県水俣市で発生したメチル水銀中毒による公害病。
有機水銀化合物を含む工場排水が海に流出し、魚介類を介して人体に蓄積されました。
重篤な神経症状や先天性奇形などの被害をもたらしました。 - イタイイタイ病(1961年~):
富山県婦負郡で発生したカドミウム中毒による公害病。
カドミウムを含む鉱山からの排出物が川を汚染し、住民に骨痛などの健康被害をもたらしました。
「水俣病問題に係る懇談会」マイク遮断への謝罪
水俣病問題に係る懇談会 の主旨から 被害者団体側の意見発言を3分までとする制限をすることに問題があり、この会議の本来の目的(上記参照)からそれていますね。
聴く会であったものが、聞く会 となってしまい。
さらに、会を運営する側及びそのトップの意識、姿勢も変わってしまっていたことが根本的な問題ではないでしょうか。
これを是正するのは、頭をさでることではなく 正すべく行動に動くことでしょう。
トップの動きで組織の動きが決まりますね。 今後を期待していいものか?????
まとめ
「聞く組織」は、「聴く組織」となるべきと、今回のマイク遮断問題で分かりました。
いつの日からか、当初の主旨が、受け継がれていく間に、事務的業務となってしまったのでしょう。
これは、その時、その時代を背負うリーダーの資質で、舵が取られることでしょう。
今回は、それが どうだったのか。。。そして、近い将来に どのようになるのか、、、、、、