2024年12月3日夜、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が、「非常戒厳」の宣布を発表した。その後、大勢が国会議事堂の周りに集まり、戒厳令に抗議し国会は解除の要求を議決した。
大統領は4日朝に、戒厳令を解除した。
あまりに突然の出来事に、国民はあっけにとられ、今後、この件について対応が進むでしょう。
韓国のこの出来事から、日本は法的に戒厳令を出すことはできませんが、現在の戒厳令に関すること、そして過去戒厳令の歴史を学び、現在そして未来を考えてみましょう。
日本の戒厳令の歴史
現在の日本国憲法下では、戒厳令を発令することはできませんが、過去、大日本帝国憲法(明治憲法)下の時代に、社会不安や政治的な対立、戦争などの際に実施されました。
戒厳令の定義
大日本帝国憲法下での戒厳令は、
非常事態が発生した際に、その地域の法秩序を維持して、治安を確保するために、軍隊が行政権や司法権の一部または全部を掌握する状態
を指します。
そして、戒厳令下では国民の自由や権利を大幅に制限するものでした。
主な戒厳令の5事案
日露戦争後の日比谷焼討事件(1905年)
- 背景: 日露戦争の講和条約であるポーツマス条約の内容に不満を抱いた民衆が、日比谷公園で暴動を起こしました。
- 内容: 政府は、暴動鎮圧のために東京市内に戒厳令が施行され、軍隊が出動しました。
大正デモクラシー期の米騒動(1918年)
- 背景: 第一次世界大戦後の物価高騰により、米などの食料品が不足し、国民が暴動を起こしました。
- 内容: 警察だけでは騒乱を鎮圧するには至らなかったため、軍隊を出動させ戒厳令が施行されました。
関東大震災(1923年)
- 背景: 関東大震災(1923年9月1日発生)が発生し、その影響で治安が悪化。
- 内容: 政府は治安悪化を理由に戒厳令の一部を適用し、関東戒厳司令部を設置しました。
二・二六事件(1936年)
- 背景: 昭和11年(1936)2月26日、陸軍の青年将校らがおこした「国家改造」を要求するというクーデター。
- 内容: 政府は、反乱鎮圧のために戒厳令を発布しました。
太平洋戦争中(1939年-1945年)
- 背景: 太平洋戦争中は、国内各地で空襲や物資不足などによる社会不安が広がった。
- 内容: 政府は、治安維持のために各地に戒厳令を発布しました。
日本国憲法下での戒厳令:
現在の日本国憲法下では、戒厳令を発令することは法的にできません。
なぜ戒厳令が発令できないのか?
- 日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を原則としているので、戒厳令は、憲法の原則に反することとなり、個人の自由や権利を大幅に制限する可能性があるため、憲法に合致していない解釈とされています。
- 世界的にも、戒厳令は人権侵害につながる可能性が高いと考え、民主主義国家ではその発令が制限される傾向になる恐れがあると考えられています。
非常事態にはどう対応するのか?
戒厳令に代わるもの
戒厳令に代わるものとして、以下のようなものが考えられます。
- 緊急事態宣言: 近年では、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)の際に発令されたことが記憶に新しいですが、感染症の拡大など国民生活に大きな影響を与える事態に、政府が一定の権限をもって行使します。
なぜ戒厳令ではなく、これらの制度が採用されているのか?
- 国民の自由を尊重: 緊急事態宣言は、戒厳令に比べて国民の自由を制限する範囲が狭く、法的な手続きも厳格に定められています。
- 国際的な基準への適合: これらの制度は、国際的な人権基準に沿った形で設計されており、他の民主主義国家との整合性も高いです。
まとめ
日本国憲法下では、戒厳令を発令することは、憲法の原則に反するため、事実上不可能です。
代わりに、緊急事態宣言など、国民の自由を尊重しつつ、非常事態に対応するための制度が整備され、これからも制度は変わりながら進化し続けるでしょう。